“僕は”何をするべきか?
ロジカルシンキングについての書籍などで、[So What? / Why So?]による思考というのは、よくあります。
貨幣経済から評価経済社会へシフトするための拡張型組織・オタキングexの社長として活動している岡田斗司夫さんのノート術でも、似たような展開部分があります。
ポップカルチャーは数世代に渡りファンを獲得し続けた結果、今やあって当たり前の世代を主役とし生活の一部となった
岡田斗司夫さんのノートは、
見開きを使って、 右ページに論理基礎を書き、 左ページに面白基礎を描く。
という形式になっています。
右ページ(論理基礎)には、下、上、水平に自分なりの考えを書きます。考える癖をつけることを目標としています。
左ページ(面白基礎)には、イラストや図解、ダジャレなどを自由に描きます。連想や話を広げる癖をつけることを目標としています。
右ページの論理基礎では、
下: → なぜ? → なぜ? → なぜ? (最後に)→ なぜ気になる?(自分に対するツッコミ) 上: → ということは? (自然な連想) → どうなる? (客観:無責任) → (私は)どうする? (主体:責任) 水平: ← 他に似たこと ← あれ?前にも... ← あれ?逆に... ← あれ?同じような...
の形で考えを展開します。
さて、先日こちらブログを読み、何か心にしみるものを感じました。
(僕は)大学で何を教えるべきか - bluelines
大学教員である id:hatenacinnamon さんが考える「知性」・「学問」の意義と、自身が学生に対して伝えたいことが書いてあります。
その中に、
じゃあ大学の、学部の教育の意義って何だ?という問いが生じる。いや、一般化するのはいけない。問題は、「僕は学部生に何を教えるべきなのか?」ということだ。
と記述されています。(タイトルからそうですね。)
問題は、「僕は何をするべきか?」ということです。
ネット上の書き込みで、「政府は〜をするべき」、「企業は〜をするべき」、「若者は〜をするべき」、というのをよく見かけます。
新橋の高架下から一歩出て、「僕は何をするべきか?」を考えていきたいです。